今熊野観音寺の紅葉

3連休が始まり、しかも紅葉が本格化。超有名どころは朝一から人がいっぱいということが予想できたので、朝早い8時開門で、そんなに人が多くなさそうな所ということで、この寺に行きました。朝8時過ぎに行ったせいか静かな雰囲気を漂わせ、比較的ゆったりとした気分で撮影でき、同行した母も気に入っていました。
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仁和寺 HISTORY&NOTES
真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、西国三十三所第十五番札所。
空海が唐で真言密教を学んで帰国した翌年、東山から光が出ているのを見つけた空海は、不思議に思って当地にやってきたところ、老人の姿をした熊野権現が現れ、熊野権現は空海に十一面観音菩薩像を手渡してこの地に一宇を建ててこの観音菩薩を祀り、衆生を救済するようにと言い、このことを受け、空海が一宇を建てたのが当寺の始まりとされています。
その後、嵯峨天皇からも支援を受けて諸堂を造営し、平安時代後期になると、紀伊国熊野の熊野三山に対してこの地は今熊野と称され、白河法皇の時代には今熊野修験の中心地として栄え、寺名も東山観音寺と呼ばれるようになりました。
鳥辺野の南西の地(鳥戸野)は、古くからの貴族の葬地であったが、当寺がその葬地をつかさどっており、貴族の葬儀や法要の多くを観音寺が行っていたようです。
後白河上皇は熱心な熊野三山の信者でしたが、紀伊国熊野の地は遠く、気軽には参詣できないために今熊野と呼ばれていた当地一帯に目を付け、やがては、当地に新たに熊野権現を勧請し、当山の本尊をその本地仏として定めた上で「新那智山」の山号を授けて、東山観音寺を今熊野観音寺に改めました。
また、後白河上皇は持病である頭痛を当山の観音菩薩によって治してもらったといわれ、この出来事以来、一般の人々からも頭痛封じの観音様として尊崇されるようになり、今では認知症防止の御利益があるともいわれています。


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Source: KYOTO PHOTO ALBUM 京都風景写真帖

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