雨の金閣

約一カ月の間、公私ともにいろいろなことがあり、ブログのアップができませんでした。
更新を期待してブログを覗いていただいた方、申し訳ありませんでした。
9月の3連休からは毎週更新していきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。
今回は、本日撮りたての雨の金閣寺をアップします。
所々に、木々の倒壊など、戦後最大の台風の爪痕も生々しくありましたが、雨ならではのしっとりとした雰囲気を楽しむことができました。
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金閣寺 HISTORY&NOTES
あまりにも有名なお寺で、つなぎ合わせた情報を掲載するより、わかりやすく説明されていたホームページ(「京都きぬかけの路」における「金閣寺」のページ)から引用します。
臨済宗相国寺派の禅寺で正式には鹿苑寺。
西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、「北山殿」と呼ばれる大規模な邸宅を造営したのが始まりで、、義満は征夷大将軍職を子の義持に譲った後も、ここで政治の実権を握っていました。
義満の死後、遺言により「北山殿」は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は義満の法名鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名付けられました。この唯一残された舎利殿(お釈迦さんのお骨を祀る建物)こそが、通称「金閣寺」に由来する建物で、鏡湖池のほとりに建つその姿はあまりに有名です。
建物の内部は三層に分かれており、第一層は公家風の寝殿造り、第二層は鎌倉時代の書院造風、第三層は禅宗様仏堂風の、異なる三つの様式を組み合わせて建てられました。
金閣は創建後、幾度も修理を行ってきましたが、昭和25年の放火により全焼。この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』や水上勉の『金閣炎上』の題材となりました。現在の舎利殿は事件から5年後の昭和30年に復元されたものです。


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Source: KYOTO PHOTO ALBUM 京都風景写真帖

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