初夏の建仁寺

今日は、家族で大谷さん(大谷祖廟)へのお墓参りをし、それに合わせて、近くの建仁寺に、撮影を兼ねて参拝してきました。
しかし、一眼レフのレンズとカメラ本体が別の会社であるのを気付かず鞄に入れるという大失態をやらかし、そのため、携帯電話のみでの撮影を余儀なくされてしまいました。

両足院の半夏生
建仁寺塔頭両足院は、期間限定で拝観できる半夏生の咲く庭園で知られています。
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本坊から法堂へ
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法堂の天井画「双龍図」
平成14年に建仁寺創建800年を記念して、日本画家の小泉淳作画が約2年の歳月をかけて取り組んだ壮大な作品です。
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建仁寺 HISTORY&NOTES
 東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。
 日本に臨済宗を伝えたのは栄西がはじめとされています。栄西は、13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)して後、1168年と1187年の2回、南宋に渡航しました。2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅し、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国しました。
 栄西ははじめ博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、その後建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助を得て、元号を寺号として、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺で、京都五山の第3位に列せられ権威を誇ってきました。


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Source: KYOTO PHOTO ALBUM 京都風景写真帖

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