初夏の三千院

都会の喧騒を離れた山里にある三千院、ここのあじさいの庭は、街中より満開が遅く、今頃が最盛期のようでした。
しかし、今日は一番暑い時は、35度を超え、午前中の撮影でしたが猛暑が尾をいたのか、軽く熱中症にかかったみたいでした。
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三千院 HISTORY&NOTES
青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられています。
三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された小堂、円融房(えんにゅうぼう)に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本(現・大津市)に移されました。
平安時代後期になると、白河天皇の中宮である藤原賢子の菩提を弔うために梶井里に移り、円徳院(えんとくいん)と名が変わりました。平安末期に堀川天皇の第二皇子、最雲法親王(さいうんほうしんおう)が住職を務めるようになったため、梶井門跡(かじいもんせき)とよばれるようになります。門跡とは公家や皇族が住職を務める寺院のことです。
その後も、数次の移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移りました。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名もこの時以降使われるようになったものです。
現在は苔庭としゃくなげ、あじさい、そして紅葉が見事な寺院として広く知られ、多くの参拝者が訪れています。
また、一昔前、デューク・エイセスの「京都大原三千院恋に疲れた女がひとり」から始まる歌のヒットとともに、大原やこの寺もブームになったことがあります。


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Source: KYOTO PHOTO ALBUM 京都風景写真帖

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