雨の後の宝が池

今回の大雨は各地に大きな傷跡を残して、東へ移動しましたが、今日は宝ヶ池付近に家族が所要があり、その車での送迎がてら、雨上がりの宝が池を撮影してきました。
普段は山深くいる鹿も、長雨の影響か、平地に出没していました。
IMGP1938.jpg

IMGP1948.jpg

IMGP1943.jpg

IMGP1949.jpg

IMGP1961.jpg

IMGP1964.jpg

IMGP1965.jpg

IMGP1972.jpg

IMGP1974.jpg

IMGP1975.jpg

宝が池 HISTORY&NOTES
宝が池は、かんがい用の溜池として江戸時代中期につくられたもので、もともと湧水があった深田の東側に堤を作ってせきとめられ、その後拡張されたものだそうです。
宝が池の名前の由来には水不足に苦しんでいた松ヶ崎にできた溜池は宝のように思われた、池の形が分銅形でお金にたとえられた、宝暦年間にできたものだから、などの諸説があるようです。
この地を公園化する計画が具体化するのは,昭和17年に防空緑地として都市計画決定されたことに始まり、その後、昭和36年に,国立京都国際会館が北側隣接地に建設されることが決定してから,施設整備が大幅に進み,子供の楽園(昭和39年),菖蒲園(同46年),憩の森(同49年),桜の森(同52年),北園(同53年),野鳥の森(平成4年)を次々に整備し,現在の姿になっています。
野鳥観察の施設もあり京都市内とは思えないほど自然に溢れており、普段は山間部で生活する鹿もまれではありますが、池の周辺に出没します。また、池の周囲の遊歩道はマラソンコースで、距離表示も最近付け替えられ、我々ジョガーは重宝しています。そうしたことから、近辺の市立小中学校のマラソン大会が恒例行事となったり、ジョギングをする者も少なくありません。


にほんブログ村
Source: KYOTO PHOTO ALBUM 京都風景写真帖

  • このエントリーをはてなブックマークに追加