京都の歴史が誇る祇園祭

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祇園祭は京都の八坂神社の祭りで、7月1日の吉符から、宵山、山鉾巡行、
神幸祭、花傘巡行、還幸祭、神事済奉告祭、7月31日の疫神社夏越祭までの
約1ケ月の祭りです。

祇園祭の名は、平安時代の神仏習合の時に、八坂神社は、比叡山の配下でありました。
そして八坂神社は祇園社であった事が起源です。

祇園社であったのは、神社の神である牛頭天王がインドの祇園精舎の
守護神であったからです。
祭りの名称も祇園御霊会となり、その後、祇園祭となりました。

祇園祭は、859~877年の貞観年、京都に疫病が広まった時,勅を奉じて
平安京の広い庭園の神泉苑神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を迎えて祭り、
洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由来です。

京都に疫病が広まった理由は、京都は、湿地の地域であり、平安京造営で人口の増加、
下水道などが無かった事のためです。
7月の夏祭となったのは、真夏に疫病が大きく広まり、多くの人が高温と水不足のため
亡くなったからです。

御霊会は疫病で亡くなった人の霊を祓うために行う祭だったが、疫病依然として
広まっており、また、864年の富士山の大噴火が869年には陸奥の大地震による
津波被害などが大きかったので、卜部日良麿(うらべ の ひらまろ)が
日本中の中の国数の66本の矛を立て、それに悪霊を宿らせることで祓い、
また、牛頭天王を祀りました。

平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって
盛んな賑わいを見せてきました。

室町時代になると町々の特色ある山鉾が登場しました。
応仁の乱で都は廃れ、祇園祭も中絶しましたが、1500年に復活、その時より
山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われることになりました。

この時代に今日のような山鉾巡行が成立したものと見られます。

宵山は、山鉾巡行の前日の事ですが7月14日~16日・21日~23日の期間の祭りをいいます。四条通を境に南北に広がる通りに山鉾が立ちます。
夜に山鉾がライトアップされるため祭のムードが高まります。

山鉾巡行は、祇園祭の最大の祭りです。

災いの原因の悪霊を鎮めるために、町中を練り歩いたことが始まりです。
昔、どの山鉾の順番を巡って争いがあったので、現在は毎年7月2日の京都市役所で
くじをひいて巡行順を決めます。

巡行は7月17日の前祭と7月24日の後祭に分かれて行われ、前祭では23基、
後祭では10基の山鉾が市内を練り歩きます。

特に曲がり角で山鉾が方向転換する辻回しは、見る価値があります。

山は、昇方の20名の人が巡行します。
担ぐとなっていますが、補助車輪をつけ巡行されます。


飾りをつけた松の木の山は、高さ約15メートル、重さ約1.2~1.6トン。
各山の飾りや人形山の特徴があります。

鉾は、曳方の約40名の人が巡行します。先頭の長刀鉾は、高さ約25m、重さ約11tです。
巡行では曳方のほかに、屋根方、音頭取り、車方、囃し方の人々が参加します。

祇園祭の日程津説明ですが7月1日の各町で祭礼奉仕の決定や神事の打ち合わせを
行う吉符入、宵山、山鉾巡業、7月17日の 神輿渡御の前に本殿で
祭典が行われる神幸祭、7月24日午前の傘鉾十余基・馬長稚児・児武者等列が巡行し
八坂神社に到着した後舞りなどを行います。

7月24日午後の四条御旅所を三基の神輿が出発し八坂神社又旅社に着いて祭典し
神輿に灯を入れ夜本社に還幸し、御神霊を本社に還し祭りを行う還幸祭、
7月29日の祇園祭の終了を告げ感謝する神事済奉告祭、7月31日の素戔嗚尊が
南海に旅をされた時、疫神社の御祭神蘇民将来の好待遇に感謝するため、
疫病流行の時は、蘇民将来の子孫は疫病より免れしめると告げた言い伝えにより
鳥居に大茅輪を設け、参拝者はこの鳥居をくぐって厄気を祓い、
蘇民将来之子孫也の護符を授かる疫神社夏越祭などがあります。

京都市内はどこも混雑していますので電車で行かれることをおすすめします。

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